2015年3月11日水曜日

「 家族の軌跡 ~3.11の記憶から~ 」

東日本大震災の発生から、今日で丸4年が経過しました。

そして、写真家の大西暢夫さんによる「被災地 映像報告会」の開催まで
あと3日。


震災以降、東北各地に何十回となく足を運び、被災地の「その後」を
生きる家族に寄り添ってきた大西さんによる、記録映像の上映とトークのイベントです。


映像について、大西さんに解説をいただきましたので、ご紹介いたします。

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 『家族の軌跡 ―3.11の記憶から―』

この映像の記録は、人が前に進もうとする姿を捉えたものではない。

むしろ、足踏みをし、どのように進んでいこうか、模索している家族の記録だ。
街が復興に向け激変する中で、その速度に伴っていない家族が大勢いることを、

僕は知っていた。

被災した彼らの暮らしも、東北の復興支援と同時に着実に進んできたが、たったひとつの
引っ掛かりが、心の復興にブレーキをかけていたりする。

それはお金をかけても再建されることではなく、時間をかけながら、少しずつその事実と
向き合っていくしかないことは、撮影しながら感じてきたことだった。
 

娘が行方不明となり、どこかで生きていてくれるだけでいいと願う母。慰霊碑に刻まれた
娘の名前の漢字が間違って彫られていた。本当は死んだことはわかっているが、
認めきれない
気持ちを持ち続け、時間ばかりが過ぎていく。そんな絶望の中、免許証が
発見された。

76歳で瓦礫の分別作業員として働きはじめ、新しい家を建てるために働く。最近になって
あのときの夢を見るという。
 

老人ホームに勤め、寝たきりの老人を助けようと、自分の車に乗せ避難したが、容赦なく
津波が襲った。その母には、幼い家族が二人いた。
一番悔しいのは可愛い我が子を残して逝ってしまった母親だが、これからの暮らしを支える

祖父母の不安は募るばかりだ。二回目の子育てが始まりましたと。でも子どもたちが
18歳に
なるまで踏ん張ることを決めた。この現実に終わりはなく、大人になっていく
子どもたちを
見守っていくしかない。

ある男性は、自宅にいた母に「学校に避難しろ!」と伝え、自治会長でもあった責任感から、
地域の避難誘導をするために家を飛び出して行った。
妻は出かけていて、連絡が取れない。自分も津波に襲われそうになりながら、必死で山に

駆け上がり助かった。

しかし結果は最悪な事態となった。避難していると信じていた母は、自宅に親戚を二人
呼びよせ、3人で寄り添ったままコタツのある部屋で亡くなっていた。
そして妻も自宅に帰る途中の車で亡くなり、23日後に安置所で発見された。
今朝まで一緒に暮らしていた家族がいなくなった。一人残され、食事を近所の人に頼み、

晩酌をする。昨日も明日もその暮らしに変わりはない。

映像の締めくくりに未来を予測した喜びは別にない。残された者の使命を祈りに捧げる
夫がいる。どうかあの世でも今まで通り幸せな暮らしであるようにと。


こうした今の日常を淡々と記録しておきたかった。

(大西暢夫)

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写真家 大西暢夫さんの被災地 映像報告会『家族の軌跡 ~3.11の記憶から~』

3/14(土)17:30~(受付:17:00~)  (受付を終了いたしました)
3/15(日)13:00~(受付:12:30~)
       16:30~(受付:16:00~)


定員:各回 20名
 ※要予約 tanemakidori@gmail.com または 042-507-9087(10-17時)
      ご予約の際は、ご希望の人数、お電話番号をおしらせください。

料金:2,000円(大西さんの被災地レポート2冊、ゼルコバのパン、のみもの付)

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東京の西側、被災地から離れた距離に暮らすわたしたちですが、
このイベントの参加者のみなさまとともに、震災後を生きる人びととの

つながりについて考える二日間にしたいと考えております。

タネマキドリ 伊藤


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